先日のメモでも書きましたが、私も初めて金縛りを体験しました。
正確には、「初めて金縛りと意識した体験」ですが。
私は今まで何度か金縛りを体験していましたが、
これまではそれを金縛りと意識した事はありませんでした。
その原因は、金縛りというものは非常に苦しく、
恐ろしい体験であると言う伝聞でしょう。
金縛りはとても恐いものだと聞いていたので、
まったく恐くない体験を金縛りだと認識できなかったのです。
その後、数人と話をしていて気づいたのですが、
やはり皆が口を揃えて「金縛りは恐い」と言います。
曰わく「とても苦しくてたまらない」、
曰わく「何かが側にいて非常に恐ろしい」。
しかし、私はちっとも恐くなかったし、まったく苦しくありませんでした。
ただひたすら私の眠りを邪魔する何者(幻覚?ですが)に腹が立ちました。
自分が金縛りに合うよりも、金縛りに合ってる人を発見する方が恐いと思います。
どこから出しているんだと言うような気味の悪いうなり声を発し、
かすかに開けた瞼の裏で信じられないような眼球の高速運動を繰り返している様子は
正にホラーそのものです。
金縛りが恐いと言う人と、恐くないと言う人。
この違いはどこから生じるのでしょうか。
考えてみました。
そもそも、なぜ金縛りが恐いのか?
体験談を聞いていると、恐い理由は「身体が動かない」、
「何かがいる」と言う事に収束されます。
でも身体が動かない、または動きにくい状態というのは、
平時でも珍しくありませんね。
仕事で同じ行動をひたすら繰り返さなければいけないとか、
怪我をしたとか、
隠れんぼで身動きできないとか。
また、「何かがいる」と言うのは、もっと頻繁に体験するでしょう。
そこかしこに人がいますし、動物や虫がいます。
夜遅くに怪談を読んでいれば、
後ろに気配を感じてしまう事だってあるでしょう。
それぞれを別個に考えれば、よくある出来事です。
それ単体ではそこまでの恐怖を醸し出しません。
なのに、これが合わさると恐怖を有無のは何故か。
そして恐怖を感じない人間もいるのは何故か。
一つ、気づきました。
「動こうと思っても動けないのに、何らかの気配を感じる。
だから恐い」。
それはひっくり返して言えば、
「普段は動こうと思った時には80%以上の伝導性を持って、
自分の意志通りに身体が動く。
何かの気配を感じても、咄嗟にそれに対応が出来る」
と言う事ではないでしょうか。
つまり、普段はごく普通にそれと意識しなくても出来ている事が、
なぜか出来なくなっている。
だから恐い。
一番重要なのは身体が思い通りに動かないと言う事であり、
何かの気配などは、その混乱に対する付属物ですね。
怖い話しを読んでいたり、恐怖映画を見ていたりした時に、
部屋の中に何かいるような気がしたり、
通常以上に敏感になっている為に微かな物音にも反応してしまったり、
パソコンがフリーズしたり電気が消えたり、
普段ならば見逃すような些細な事に重大な意味を見いだしてしまったり、
そうやって恐怖を感じるのと代わりはないでしょう。
動けないから恐い。
恐いからそれには原因があるに違いない。
その原因を自ら作り出す。
と言う三段論法ではないでしょうか。
と言う事は……金縛りに合ってもそこに恐怖を感じないと言うのは、
逆に言えば
自分で自分の足を引っかけてバランスを崩したり、
曲がり角を曲がろうとして目測を誤って曲がり角にぶつかったり、
普段から身体を思うように動かせていないと言う事ではないでしょうか。
よくよく考えてみれば、「金縛り恐い」と言っていた人達は、
皆さん冷静な人で、咄嗟の時にも焦らず落ち着いて行動し、
反射神経も鋭い人ばかりでした。
そして、「金縛り恐くない」と言っていたサンプル一名は、
割と動揺しやすく、咄嗟の時には慌てふためいて失敗を誘発し、
反射神経は今一つという人でした。
……やはり私は鈍いようです。(笑)
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