平和主義。愛。博愛。寛容。度量の広さ。真の勇気。強さ。忍耐。
弱気。押しの弱さ。迷い。消極的。独断。横行。強行。
ケセド―ゲブラー。19番目のパス。9番目の文字。テス・テト、T、蛇。獅子座。
一人の女性と一頭の獅子。
力のカードです。
戦車と同じくカードの印象がガラリと変わっていますが、戦車以上に構図に変化が見られますね。
ここで今まで続いていた三角形はなくなっています。
その代わり、女性の頭上には魔術師と同じ無限記号が表示されています。
女性の衣類は白く、緑と花の飾りを身にまとっています。
一つの前のカード戦車では、魔術師の皇帝の女司祭長の法王の、と揃い踏みしていましたが、女帝は影を潜めていました。
この力のカードでは、女帝の圧勝です。
女帝単体を見ると、楽しそうで、のんびりしていて、嬉しそうで、女の喜びで、受け身で守りに入ったカードに見えます。
言ってしまえば、他のカードに比べると庶民的で俗物的で安っぽいのですね。
でも力のカードを見る事で、女帝の恐ろしさがひしひしと感じられます。
あのカードはブラックホールです。何でも飲み込みます。拒否しません。
しかもその受容力は底なしです。捕らえられてしまうと逃げられません。
そして、力のカードでは、その圧倒的な包容力が全てを抑制しています。
他の全てに打ち勝っています。
打ち勝つ、と言うと言葉が違いますね。
力のカードは女帝の後継者です。だから戦いません。乱暴な真似もしません。
ただお願いするだけでしょう。
けれど、そのお願いに抗する者はいません。
女神か妖女かと見まがう絶世の美女が、流し目一つくれただけで男性を虜にする、そう言う魔力に似ていますね。
違いと言えば、力は色仕掛けはしない事でしょうか。
色仕掛けではなく、もっと根元的なもので誰もあらがえないもの。
恐るべし母性ですかね。
誰もが何かから生まれてきます。
この世のありとあらゆるものには、母と呼べる存在があります。
何もないところにポコッと生まれたものは存在しません。
あるとすれば宇宙そのものでしょうか。
そうした、誰もが自分を生みだした「母」を持っている以上、その母に対抗するのは難しいです。
反抗できない、と言うのは違います。反抗は出来ます。
大いに反抗して自立したりも出来ます。
だけど、そうした反抗すらも「はいはい、よく出来ましたね〜」と受け入れてしまうのです。
ですから百獣の王も力の女性の前に出ると、形無しなのです。
そうです、力のカードには、力で対抗する事は不可能です。
のれんに腕押し、何の効果もありません。
もしこのカードを追いつめる事が出来るとしたら、自分を嫌いになるとか、自分を傷つけるとか、
ぜんぜん別の方向から攻撃しないと駄目でしょうね。
04/06/19
力は使う為にあるとは限らない。力は「ある」だけで、その威力をアピールする事も出来る。
強い犬はやたらめったら吠えない。弱い犬は吠える。吠えるとしたら、吠える必要がある時。
力は必要な時にだけ使って、それ以外は蓄えているべきもの。
このカードは女性と獅子が描かれています。たまに男性の力強さを強調して描かれているカードもありますが。
獅子は百獣の王と呼ばれるくらいで、もちろん強いわけです。
しかし、その獅子の口を女性が難なく押さえてしまって、しかも獅子も大人しくそれに従っています。
目に見える強さだけが本当の強さじゃないんですね。
力とは振るうべき時をわきまえるべきもので、必要がない時は使わなくて良いものです。
でもトートだと、名前が欲望に変わっちゃってますね。
ウェイト版だと、ゲブラーがケセドに従い服従しているというか、
ケセドの意志に乗っ取って力を行使するので、乙女に押さえられちゃったりしている訳ですが、
トートの場合はケセドの後ろ盾があって思う存分走り回っているような感じでしょうか。
本当の力は乙女の中にあって、良いも悪いも全てのエネルギーを吸収してしまえるので、
普通なら手にする事も出来ないものも取り込んでしまうと言うか。
静かな力強さではなく、恐ろしいほどの力強さが描かれているように思います。
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