幸運。変化。楽しさ。成功。援助。棚からぼた餅。楽観。
準備不足。失敗。すれ違い。パンク寸前。変化。ぬか喜び。
ケセド―ネツァク。21番目のパス。11番目の文字。カフ、K、掌・匙。木星。
運命のカードでは、四隅の象徴は羽が生えた全身像が黄色一色描かれていました。
世界のカードでは、四隅の象徴は顔のみが彩色されてカラフルに描かれています。
運命のカードでは、四隅の雲は大きく描かれていました。
世界のカードでは、四隅の雲は煙のように細かく小さくなっています。
運命のカードでは、中心に輪がありました。
世界のカードでは、中心にリボンが付いたリースがあります。
運命のカードでは、中心の輪の上に剣を持った青いスフィンクス、
輪の下から上がるに犬の顔をした赤い人間、輪の上から下がる蛇がいます。
世界のカードでは、中心の輪の中に紫のベールを巻き付けた裸の女性がいます。
運命のカードでは、中心の輪はオレンジ色です。
TAROと言う文字が書かれています。
その間に、
ヘブライ文字で神聖四文字――ヨッド、ヘー、ヴァヴ、ヘー(YHWH)が書かれています。
TAROと言う文字は4つですが、回転すればTAROTとも読めます。
TAROが終わり、最初のTに戻った時TAROTが完成します。
それと同時に次のTAROが始まります。
4つが重なって次の階に移行し、永遠に続く。
テトラグラマトンと同じですね。
更に、その内側には4つの記号があります。
上は占星術の水星のシンボルです。これは錬金術における水銀を表します。
右は錬金術における硫黄のシンボルです。
下は占星術の宝瓶宮のシンボルです。これは錬金術における水を表します。
左は錬金術における塩のシンボルです。
更に、四隅の象徴は占星術に結びつきます。
人は宝瓶宮であり、
獅子は獅子宮であり、
牛は金牛宮であり、
鷲は天蝎宮です。
と言う事は、四隅の象徴は4つの錬金術記号に結びつきます。
人は宝瓶宮であり、水です。
獅子は獅子宮であり、水銀です。
牛は金牛宮であり、塩です。
鷲は天蝎宮であり、硫黄です。
水銀、塩、硫黄は三原質であり、これらは惑星の三重の三位一体を表しており、
三位一体はキリストを表します。
となると、運命の輪の中心の輪は、外側はヤハウェを表し、
内側はキリストを表すと言えます。
(世界の解説より抜粋)
05/05/21
4つの獣と回る輪。
運命の輪です。
ここに来て、またカードの構図が新しくなりました。
今までのカードは、少々現実離れしていても、
パッと見て理解できる範疇のカードでした。
男性が描かれていたり、女性が描かれていたり。
しかしこのカードには普通の人の姿がありません。
四隅に書物を持った四匹の獣――人、獅子、牛、鷲――が描かれ、
中央には一つの大きな輪。
輪の上にはスフィンクスが剣を携え、右には犬頭が登っていく姿が、左には蛇が下がっていく姿が描かれています。
一つの前の隠者のカードは、何かを目指して歩いている姿でした。
ではこのカードは隠者が目指したもの、隠者が到達した場所でしょうか?
そうではないでしょうね。これは、そうした隠者が歩いている場所より一段上の場所です。
この運命の輪の足下には、今の隠者がしずしずと歩いており、力は獅子を制しており、戦車は己の道を邁進しているのでしょう。
そうしたそれぞれの行く末、それに関知するのではなく、ただそこに存在する、それが運命の輪です。
一般的には幸運のカードと言いますが、その幸運は偶然の産物と言った性質のものでしょうね。
つまり、誰も運命の輪に関与する事は出来ないのです。
何か良い事があったとしても、それはその人が努力したからとか、これまでの行いのおかげとか、そう言うものではありません。
本当の気まぐれ、偶然に偶然が重なった結果、運命の我がたまたま貴方の元に止まっただけ、そう言うものです。
足下で藻掻いて、決意して、苦しんで、喜んで、悩んで、頑張って、そうやって進んだり後戻りしたり立ち止まったり、
息を切らせて頑張っている人が住む世界の理が通じない場所です。
ですから気をつけないといけないカードです。
自分は天に愛されたと有頂天になっていたら、ひょいとつまはじきにされます。
運命は誰も愛していませんから。
自分の努力が認められたんだと達成感に震えていたら、簡単に転がり落ちます。
運命は気まぐれですから。
反対に、もうどうにも駄目だ、と思った時に救いの手が差し伸べられるかも知れません。
運命の衣を掴んだ証です。
期待しては、いけないのでしょうね。
期待しないで、でも自分の元にやってきた時には有り難く頂戴する、そんな風に付き合うカードでしょう。
04/06/19
幸運とは突然やってくるもの。人生はいつだって、いきなり開けるもの。
準備万端ガッチリ捕まえた人は高笑いが出来る。
しかし逃してしまうと、ただ後ろ姿を指をくわえてみているだけになる。
あれですね、普段からぬかりない人は幸運を捕まえる事が出来るし、
ボーっとしていると幸運がやってきたのにも気づかないのでしょう。
毎日チラシやDMをチェックしたり、こまめにお店に足を運んでチェックしている人は、
突然始まるタイムサービスでほくほくお得な買い物が出来るけれど、
何も考えずに買い物に行く人は精算が終わった後でタイムサービスが始まったり、
タイムサービスが終わった後でお店に到着したりするんですね。
幸運でなくとも、変化の種はそこら中に転がっています。
それを見つけられるかどうか、ですね。
昔っから重力はあったし、リンゴもドサドサ落ちてたけど、重力を見つけたのはニュートンでした。
それと同じで変化がないのではなく、変化に気づけるかどうか。
気づける人は楽しいし満足して充実出来るでしょう。
気づかない人は退屈でつまらないものかも知れません。
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