再生。転換。大きな変化。生まれ変わり。打ち切り。夜明け。よくわからないものへの畏怖。暗闇。
繰り返し。停滞。成長出来ない。終わり。不活発。
ティファレト―ネツァク。24番目のパス。14番目の文字。ヌーン・ヌン、N、魚。蠍座。
白馬に乗った骸骨騎士、跪く老人と子供。
死神のカードです。
吊し人に引き続き、タロットの嫌われ者カードです。
確かにこのカードは怖いですね。
白馬はせせら笑っているし、騎手は骸骨です。
足下には事切れた死体、そして生きている登場人物は跪き哀願しています。
不吉なカードだと言われるのも無理はないかも知れません。
しかし、不吉なカードと言うよりも意地悪なカードだと言うのが一番近いですね。
この一つ前のカードは吊し人です。
吊し人は長い旅路の末に、最後の時をワクワクしながら待っています。
ですがカードを繰って次のカードを見ると、死神。
これはもう、正にゴールに至る前の最終試練ですね。
試練となると思い出すのは、恋人、愚者です。
あれらもまた究極の選択を迫るものでした。
死神も本質は同じです。
けれどカードが進んだ分、愚者の頃には存在しなかった複雑さ、恋人以上の悩ましさが存在します。
ですからカードに描かれた死神は不気味な姿をしていますが、実際にこのカードが表すものは、
非常に身近でよくある事、誰もが経験している事だと思います。
極端な話し、若いカードよりも後半のカードの方が馴染みやすいのですね。
若いカードはシンプルです。
しかしシンプルな分、強力で強烈でハッキリしており、感覚的にはわかっても、
現実に対面した事がない事象が描かれています。
例えば愚者の己の根源、自我を選ぶかどうか、そんなものは日常生活を送る上であまり意味はありません。
子供であれば自分の存在はどうの、生きる目的がどうのと考える事もあるでしょう。
でも自我やら存在意義やら哲学やら、そんなものでお腹は膨れないのです。
生きていくとやる事なす事考える事は、どんどん増えていきます。
今日の晩ご飯をどうするか、仕事をどうするか、喧嘩した恋人とどうするか、考えなければいけない事がたくさんあります。
自己の根源やら本能やら、そうしたシンプルで、けれど直接的に役に立たないものは隅に追いやられます。
それで当然です。毎日を精一杯生きていれば、関わらなくて良いもの、放ったらかして良いものだからです。
若いカードの中でわかりやすく身近なカードと言えば、魔術師の目立ちたがり、女帝の潤沢、戦車の宮仕え辺りでしょうか。
それ以外のカードは、割と精神的なものが多い為に、シンプルだけど有り難みが薄いかも知れませんね。
話が逸れましたが、この死神のカードでも、愚者や恋人と同じように選択を突きつけられています。
それも非常にわかりやすい形です。
今までのように曖昧で見逃しがちなものではありません。
ほとんど脅しのようなものでしょうか。
意地悪な目つきをした白馬に乗った骸骨が現れたら、大抵は恐怖してとりあえず許しを乞うのではないでしょうか。
そう言う意味では、非常に効果的な脅しです。
反対に言えば、わかりやすく問うてきてくれています。
「怖いでしょ?恐ろしいでしょ?どうする?どうする?」と。
今まで順調に階段を駆け上ってきて、もうすぐ頂上、もう何の障害もないだろうと楽観的になっていたところへ、
ベタベタの展開で最終試練です。
そうです、雰囲気は怖いんですが、別の見方をすれば愚者や恋人に比べて非常に優しい問いかけなんですよね。
愚者は問いかけなのかどうかわからないような問いをいつの間にか出されて、下手をすると谷底に突き落とされます。
恋人では問いかけが交錯して、理解し合えないすれ違いと誤解が真の問いをわかりづらくしています。
でも死神はわかりやすいんですよ。
骸骨が「怖い?」と脅しにやってくる。
脅しにやってくるけれど、よく見ると後ろに太陽が昇っています。
怖がらせながらも、もう一踏ん張りしてご覧なさいと応援しています。
そして、この選択に失敗しても愚者や恋人のような痛みはないでしょう。
登りつつある太陽が沈む事はないからです。
手に入らないものが生じたとしても、それでも太陽は昇ってくれます。
こうなってくると、本当に怖いのはどのカードなのか、分からなくなってきますね。
だから私は、このカードはシャイで無愛想で、でもお人好しのカードだろうなと思います。
怖がるよりも、シッカリと死神の問いに答えれば、歯をカタカタ鳴らして笑ってくれるかも知れませんね。
04/06/19
このカードは正義の投影と言うか反射だよなぁと思います。
正義は自分の信念に従ってルールを施行するカードですが、このカードではそれは外からやってきます。
飲み会で話して食べて盛り上がっているところに、
情け容赦なく「そろそろお時間ですから精算をお願いします」と通告が来るようなもんでしょうか。
ウェイト版だと旗を持った白馬に乗った死神の騎士が描かれていますが、
他には大鎌を持った死神が描かれているものもありますね。根こそぎどんどん刈り取って行っちゃうと。
でも、これは終焉を表すカードではないです。
まぁ、変化に伴う困難ですかね。
どんどん満たされていって、ものすごく充実してたりものすごく楽しかったりするんと、
その場所に止まっていたくなります。いつまでも同じ場所でいたい、今が続けばいいなと。
しかし、この世に永遠はないわけで。
同じ状態で居続ける事は不可能です。
でもすでに飽和状態であったり変化しようが無くなっている場合は、
更にワンステップ上がる事で変化が生じる余裕のようなものを作らなきゃいけません。
例えばバケツにいっぱい水が入っていたら、それ以上水をためる事が出来ません。
そうなったらもっと大きなバケツに取り替えるか、バケツを増やさなきゃいけません。
バケツだったら大した手間も面倒もなくて済みますが、これが仕事だったらどうでしょう。
ある程度昇進したり昇級すると、そこで頭打ちになって上を目指せない。
でも上を見てみたいとなると、仕事を変えるなり社内改革を起こすなりするしかありません。
で、これが自分で納得して起こしたものだったら耐えようもある訳ですが、
いつでも納得した上でそれがやってくるとは限りません。
いま私は満足してるんだー!と充実感いっぱいの時にやってくる事もあり得ます。
そうすると理不尽な気がして納得も出来ないしショックだったりするんですね。
だから自覚していようがいまいが、本質的に向上心が高くて上を目指せる人や、
本当の意味でプライドが高い人は負けずに踏ん張ったり、
それを受け入れてステップアップ出来るでしょう。
でも外面が剥がれる時なので、普段は向上心が高そうに振る舞っていたりしても、
本当はぬくぬくしていたい人は嫌がるでしょうね。
自分の本質と向き合ったり、自己を自覚する良い機会ではあります。
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