結論から言いますと、不可能です。
例えば貴方に1000万の借金があったとしましょう。
返済期日は明日に迫っています。
しかし貴方には貯金もないし、すでに借りる当てもつきてしまったし、
どう考えても用意する事が出来ないとしましょう。
切羽詰まって、貴方は占いをしてみます。
ここで、どんな結果が出れば貴方は満足するでしょうか?
「確実に返済できますよ」という返答でしょうか?
しかし考えてみてください。
現実に返済できる当てはありません。
その状態で「返済できる」と言い切る占いは、
一時的な気休めや現実逃避の手段でしかないのではないでしょうか。
「占いの結果でそう出たと言う事は、現実が変わるって事じゃないの」
そう思われる方もいらっしゃるかも知れません。
答えはNOです。
占いが現実を作る訳ではありません。
現実の答えが占いに出るのです。
仮に、どう考えても不可能な事が占いに出たとしましょう。
この場合では、「返済する事が出来る」と言う答えですね。
そして実際に急にお金が入ってきたり、お金を貸してくれる人が現れて返済する事が出来たとしたら。
これは「占いに出ていたから、そうなった」のでしょうか?
いいえ、違います。
現実にそうなるハズだったから、占いの結果に出てきたのでしょう。
占いに現実を変える力はないのですから、不可能を覆す事は出来ません。
どうにもならない状態で何とかして欲しいと占いに縋るのは、現実逃避にしかならないでしょう。
占いは、貴方に何もしてあげる事が出来ません。
追いつめられた状態の貴方に、救いの手をさしのべる事が出来ないのです。
占いは人を救いません。
救うことが出来ません。
そして、救う事が出来てはならないものでしょう。
もし占いで意のままに現実を変える事が出来るなら、それは占いではありません。
考えてみてください。
本当に未来が見えて、本当にその未来を思うように操れるとしたら。
最初は面白いかも知れません。
人の人生を変えてしまう事が出来、まるで神にでもなれた気持ちになるかも知れません。
でも、誰かの人生を歪めると言う事は、他の人の人生まで歪めると言う事です。
その人がそれに気づいた時、それでもまだ力を使う事が出来るでしょうか。
人を生かす事も死に追いやる事も出来てしまう。
自分にその気がなくとも、ちょっと腹が立っている時や苛ついている時に人の人生を変えてしまったら。
後悔もせず、恐怖も感じず生きていけるでしょうか。
平気で自分の力を見せ物にして生きていけるでしょうか。
私には、そんな人が存在するかどうかはわかりません。
会った事がありませんからね。
でも占いで未来を変えたい、現実を変えたいと言うのは、
そんな力を行使したいと言うのと同じ欲求だと思います。
自分が辛いから
自分が苦しいから
自分の夢を叶えたいから
自分の思い通りにしたいから
それは人の人生を歪めて、時には破滅させる事があっても自分の便宜を図りたい、
それと同意義ではないでしょうか。
「そんなつもりじゃない」
「人の不幸を願っている訳じゃない」
そうかも知れません。
けれど、それでも自分の欲求を貫けば他人を不幸に陥れる事があります。
自分の思い通りにしたいと言う欲求は、子供の駄々と同じです。
子供は知らない事がたくさんあります。
だから自分の行動が、どんな結末を引き寄せるか知らない事もあるでしょう。
でも、有る程度生きていれば、自分が取った行動の結末を予測できるハズです。
出来ないとしたら、「知らなかった」のではなく「考えなかった」のでしょう。
全てがうまくいく事は、現実世界では難しい事です。
あちらが立てばこちらが立たず。
何もかも丸く収まる事が出来ない事は、多々あります。
でも、どんなに苦しくてもどんなに辛くても、人の人生に介在する力がないと言う事は幸せな事ではないでしょうか。
人は自分の人生を背負っていくだけでも、苦しくて苦しくてたまらない事があるのですから。
不確かな定義での話ばかりしてきましたが、
確実なのはそんな力は占いではなく何かもっと別のモノでしょう。
一番ぴったりなのは、ドラエもんだと思いますけどね(笑)。
占いは人を救わないし、何もしてくれません。
要するに不要なものです。
生きていく上で必須のものじゃありません。
占いが無くても何も支障はないし、それで人生損する事はあり得ません。
でも占いは人を救ってはくれないけれど、苦しめる事もないと思います。
占いの結果で苦しむとしたら、それは占いを誤解しているからではないでしょうか。
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